彼の隣はとても心地いい。まるで柔らかい陽ざしの中でまどろんでいる時みたいに。
あんなにも嫌いだった煙草の匂いも、彼のものだったら別に構わないか、と思えてしまう。

年上の友人は、多忙な中でようやくできたちょっとした暇な時間に、顔を見せてくれる。
自宅で仕事をしていた時、携帯電話が震える。画面を見れば友人の名前が表示されていた。
時間を見て思わず苦笑してしまうが、すぐに電話口に出る。


「こんばんは」

「よう。起きてたんだな」

「寝てたらどうするつもりだったの?」

「いや、なんとなく起きてるだろうなとは思ってた」


そっかー、と間延びした声で返事をすると、もう寝るのか? と問われる。
もう少し起きてるよ、と言えば今からこちらに来ると言われた。
カレンダーを見て、明日は特に予定がない事を確認してから、了承の返事をする。

それから一時間もしないうちに、友人である草薙俊平は我が家へとやって来た。
仕事帰りなのか、スーツ姿だ。


「お疲れ様」

「おう」


スーツのジャケットを受け取ってハンガーにかけ、壁のフックに吊るす。
外の匂いに混じって、かすかに彼の煙草の匂いがした。


「夕飯食べた?」

「そういや食べてないな」

「残り物でよければ出すよ」

「悪いな」


部屋の中央にあるローテーブルの前に座り、慣れた仕草でテレビをつける彼を見ながら冷蔵庫を開ける。
数時間前に食べた夕飯の残りを取り出し、電子レンジに突っ込んだ。
みそ汁の入った鍋を火にかけ、茶碗に白米をよそう。
茶碗とガラスのコップを持ってテーブルに行けば、画面の中で外国人の男性が小型のミキサーを紹介していた。
彼の前にそれらを置いてキッチンに戻る。鍋の中のみそ汁が、こぽこぽと音をたてていて。
おたまで軽くかき混ぜてからお椀に注ぐ。ちょうどいいタイミングで、電子レンジが温め終わった事を知らせる。

結局三回、キッチンとテーブルの往復した。
目の前に出された夕飯を見て、彼は破顔する。


「考えてみると、久しぶりにまともな食事するな」

「刑事は体が資本なのに、大丈夫?」

「まあそれなりに鍛えるから」


ふーん、と呟くだけにした。彼はいただきます、と呟くと食事を始めた。

通販番組をバックミュージックにしながら、とりとめもない会話をしていた。
ニュースで見た彼の担当の事件の事だったり、後輩である女性刑事のことだったり。
私の次の作品の話や、家族のことなんかも話していた。


「そう言えば」

「ん?」

「この前結婚はいつするのか聞かれたなぁ」


その言葉に、草薙さんが飲んでいたみそ汁を噴き出した。
突然の事に驚きながらも、ティッシュを数枚渡す。


「どうしたの?」

「結婚って……お前、彼氏いたのか?」

「彼氏いたらこんな時間に草薙さんのこと、家にあげたりしないよ」

「あー……それもそうだな」


ティッシュで口元を拭う草薙さんを見ながら、思っていた事を口にしてみた。


「草薙さんと一緒にいるようになったら、男性への理想が高くなっちゃって」

「……は?」

「いい男は罪作りだね」


笑いながら彼の腕に拳をぶつけてみる。それでも彼がじっと私を見ているので、何かまずい事でも言ってしまったのだろうか、と首を傾げた。


「理想が高くなったって、どういう事だよ」

「まあ、なかなか草薙さんを超えられる人が現れなくて」


彼とは数年来の友人だ。
出逢った時からすぐに打ち解け、気がつけばちょくちょく会うようになって。
大体は私の家に彼が来るのだが、要請があってたまに彼の家を掃除しにいったりもした。
休みが合えば出掛けたりなんかもした。

この数年間、決して草薙さんだけが私の周りにいる男性、というわけではなくて。
他にも男友達や男性の知り合いはいたし、嬉しい事に私なんかを想ってくれた人もいた。

けれど気持ちを伝えてもらっても、結局お付き合いにまでは至らなかった。
気がつくと草薙さんと比べてしまうのだ。
隣にいる時の心地よさだったり、笑顔になれる回数だったり。
彼らよりも断然に、草薙さんの方がいいと思ってしまう。


「それって、あれか……つまり……」

「え? なになに?」


彼にしては珍しく言いよどんでいるので、興味が湧いて思わず身を乗り出す。
そんな私の態度を見て、草薙さんは明らかに落胆したようにため息を吐いた。


って、結構鈍いよな」

「そう?」

「……我慢してる俺の身にもなれよ」

「ん?」


木の葉が掠れるような小さな声で呟かれた言葉は、全くと言っていいほど聞こえなくて。
何を言ったのか教えてもらおうとせがむ私の髪を、ぐしゃぐしゃと撫でる。


「まー今更焦ってもしょうがないな」

「えー? だから、何の話してるの?」


髪をかき混ぜる大きな手の平が離れていって、草薙さんの視線と私の視線が絡んだ。
見慣れた瞳に、見慣れない色が混ざっている気がして。


「お前はお前のままでいろよ」


その言葉が、声が、瞳が。なんでかまるで、恋人に対するもののように感じられてしまった。
その事に一瞬だけ心臓が跳ねる。





そうして無自覚のはゆっくりと育っていくのです





心臓が跳ねた理由を、いつか分かる時が来るだろうか。



Title by レイラの初恋