最後に見たの表情が今でも瞼の裏から離れない。
いつも輝くように笑っていた彼女が見せた、最初で最後の泣き顔。
俺はその涙を拭う事も、抱き締めて慰める事もできなかった。
その透明な雫を流させているのは他でもない、俺自身だったから。



との出逢いは、あのラクーンシティでの惨劇だった。
彼女やクレア、シェリーと協力してあの街から脱出した。
俺と行動する事が多かった彼女は、もちろんエイダの存在も知っている。
そして俺とエイダの間にあった、不確かで歪な細い糸の事も。

ラクーンを脱出しシェリーやと共に合衆国に保護され、彼女達の安全と引き換えに俺はエージェントとしての道を歩み始めた。
当時のシェリーに比べ特に感染や特異体質ではないは、彼女よりも幾分ゆるやかな監視をされていた。
そんな中で、エージェントとしての訓練を重ねる俺を支えてくれたのはだった。

決して戦闘などのスキルがあったわけでも、壮絶な過去を送ってきたわけでもない。
平々凡々な人生を歩んでいたがあの悪夢の街から脱出できたのは、ひとえに彼女の心の強さのおかげだったんだろう。

どこまでも追ってくる怪物達への恐怖、一時も休まる事がないせいで疲弊しきっていた体。
それでも誰もが文句ひとつ言わずに互いを支え合っていた。
中でも特に彼女がクレアとシェリー、俺を励ましてくれた。
比較的安全な場所でとシェリーを残し探索をしていた。
危険な地帯から俺やクレアが戻ってきた時、安心しきった表情を浮かべて眠るシェリーの髪を撫でながら、いつでも温かい笑顔で出迎えてくれて。
その笑顔に俺達がどれだけ救われていたか。
それでも彼女は「何もできなくて、守ってもらってばかりでごめんね」と何度も謝っていた。

エイダを失い、それでもクレアやシェリー、そしてを守るために悲しみに浸っている暇もなく。
苦しく辛い日々の中で、心の拠り所だったのはがくれる連絡だった。

毎日送られてくる手紙、時折限られた時間だけ許される電話での会話。
特になんて事のない近況なんかの報告と、俺にプレッシャーを与えないようにそれでも心配してくれる言葉はささくれだっていた心を癒してくれた。
彼女だって以前の生活に戻れたわけではないのに、いつも自分よりも俺やシェリー達のことを考えてくれていた。
エイダへの想いの形が変わっていくなかで、への想いが膨らんでいった。

アシュリー救出の際にエイダと再会した時、への想いを確信した。
彼女と久しぶりに顔を合わせた時に感じたものは、クレアに抱いた感情と同じものになっていて。
何より、あの過酷な状況からアシュリーと抜け出せたのは、ただにもう一度逢いたいという想いのおかげで。
空港で待ってくれていた彼女を抱き寄せて、公衆の面前だという事も構わず口づけた。

訓練の日々がいかに生易しいものだったかを思わせる程、さらに厳しい時間を強いられた。
世界中の各地を飛び回り、ハードな任務をこなす。
何度も目の当たりにした仲間や罪のない人達の死、異形の怪物や正気を失ってしまった人間に襲われる悪夢。
それでも、少ない時間のほとんどをと過ごす事に充てていた。

触れ合う肌の温かさや、重ねた唇から伝わる吐息にいつだって安堵して。
彼女の柔らかいほほ笑みを見るために、必ず生きて帰ろうと常に胸の中で誓っていた程に、溺れていた。

シモンズの企みを暴き、事態を収拾させて帰国した俺を部屋で待っていたは、まだ涙を流してはいなかったけれど、今にも泣いてしまいそうな表情をしていた。

ベッドに腰かけ重ねた両手を膝上に置き、俯いていた。


「ただいま」

「……おかえり」


様子がおかしい事に気づいてはいたが、どこか触れてはいけない雰囲気があった。
むしろそれに触れてしまえば、何かが壊れる予感がしていて。
どうしようもない不安に駆られた俺は、の目の前に跪いて顔を覗き込んだ。
その瞳には、疑心と何かに縋りたいという想いを秘めているように見えた。
触れたくはなかったが、このまま何もないように振る舞ったところでいい方向に転がる事はない、という事だけは分かっていた。


「……どうしたんだ?」

「――エイダと、再会したって聞いた」


おそらくハニガンやヘレナから聞いたのだろう。
けれどアシュリーを救出した時にだって、彼女と再会した事は知っていた筈だ。
その時はこんな風に思い詰めた表情はしていなかったのに。


「ああ」


やましい事なんてひとつもない。だから肯定の返事をした。
俺の返事を聞いた瞬間、瞳の色が絶望一色に変わった。
立ち上がり俺を除けて部屋を出て行こうとする。慌ててその背中を追って肩を掴んで振り返らせれば、とうとうその目から涙が零れ落ちた。
初めて見るそれに動揺して、思わず肩に触れていた手を離してしまう。


「……別れよう」


唐突なその言葉に、胸の中で燻ぶっていた動揺がさらに蠢いた。
なぜ? どうして? そんな言葉ばかりが浮かぶが、口から発せられる事ができなくて。


「ヘレナから聞いた。どんな風にエイダと接していたのか、どんな風に協力していたかも」

「……誤解だ。俺は」

「分かってる」


涙のせいで濁った声が、悲痛さを訴えているようだった。


「頭では分かってる。レオンの気持ちが私に向いてくれてるって。でもダメなの。それを信じきれない」


今まで我慢していた事を物語るかのように、次々と涙が溢れていって。


「私は強くない。いつも守ってもらってばっかりで、何一つレオンの役に立ってない」

「そんな事は」

「レオンが死にかけるような危ない状態になっても、助けられない。私が一緒にいたとしても、もしかしたらその原因を作るのは私自身かもしれない」



「耐えられない」


全てを遮断するように呟かれたその言葉は、俺を黙らせるのに充分だった。


「……自分勝手でごめん。けど、いつかまたレオンの気持ちがエイダに向くかもしれない、私のことを重荷に思うかもしれないって考えが消えない」

「……どうしたら君の不安は消える? 今までのように俺の傍にいてくれるんだ?」


必死に、彼女を繋ぎ止めようとしていた。そのためだったら何だってするとさえ思っていた。
けれど告げられた言葉は俺が望んでいたものとは程遠くて。


「自分でも分からない。でもきっと、どんなにレオンが愛情を示してくれても……不安やこんなくだらない考えは消えない」

「……それでも」

「私が弱いだけで、レオンは悪くない。たとえ体が強くなって一緒に闘えるようになっても、心は弱いままだと思う」


の決心がとても強固なものだと、ついに悟ってしまう。
ここで彼女の涙を拭い、抱き寄せて言葉をささやく事は簡単だけれども。
それでその心が俺のもとに戻ってくるとは思えなかった。


「我侭で……困らせて、ごめんね」


さようなら、と残して部屋を去っていく。
足音が少し続いて、それから玄関の扉が開いてまた閉まる音が聞こえた。
彼女が響かせる音はもう耳に届く事はないのに、残り香だけがいつまでも香っていた。





何度となく触れさせた掌から、何度となく重ねた唇から、伝わったものはあるんだろうか?





Title by GODLESS「本当は大切だった君30題+α」より抜粋