束の間の休息は戦場ではとても貴重だ。
少しでも体を休めて回復しなければ、また戦う事はできない。

石と間違えそうなほど固いベッドの上で、最低限の装備をつけたまま横になっている。
帳(とばり)の下りた濃紺の空に見える星達は、眠ろうとした時から何も変わっていない。
扉を隔てた向こう側から、見張りをしている仲間達の小さな声が聞こえてくる。

じきに交代の時間がくる。
それまでにわずかにでも眠るべきだと分かっている。
けれど体力は消耗しきっていて体は休みたがっているのに、瞼を下ろしていても意識はしっかりしていた。

俺は本能的に眠る事を避けているんだろう。
眠ってしまえば、もう目を覚ましたくないと思ってしまうから。

夢の中で俺は戦場ではなく自分の部屋にいて、何年も前に買ったベッドで横になっている。
外から昼過ぎの柔らかい光が差し込み、そして隣には彼女がいて。
俺の腕の中で安心しきった寝顔を浮かべ、規則正しい呼吸をしている。





名前を呼べば瞼が震えて、そしてその瞳が俺を捉える。
まだとろんとした目を細めて俺の名前を呼ぶ。


おはよう、クリス


控えめなノック音がして、途端にが消えヒビだらけの天井が視界を支配する。


「隊長、大丈夫ですか?」

「……ああ」


固まった体をほぐしながら返事をし、傍らに置いていた残りの装備を身につけていく。
立ち上がり扉の方に行けば、次にベッドを使う隊員がすでに銃を外す準備をしていた。


「よろしくお願いします」

「ああ。お前もしっかり休めよ」


まるで充分な休憩を取れたかのような口調でそう言う自分に、呆れた笑いが零れそうになる。
仮眠部屋を出れば、粗末なテーブルに二人の隊員がいる。俺を見て「お疲れ様です」と疲れた顔で笑った。


「外にいる。何かあれば報告を頼む」


後ろからかけられる返事を聞きながら扉を開け、温い空気の中へと出て行く。

敷地内に怪しいものがないか一通り確認してから入口近くに戻り、朽ちかけているブロックの上に腰かけた。
ほぼ無音で、聞こえてくるのは何の音か分からないものばかり。
胸元から煙草を取り出し咥え火を着ける。何もない宙に向かって紫煙を吐き出した。

あの日から、自分のなすべき事が何なのか分かっている。
それは俺だけのためではなく、多くの人達を救う事でもあるというのも理解している。

それでも今、何か気を紛らわせるものを必死に探している。
煙草を吸ったところでなんの効果もない。
一体、どんな事をすればこの心に空いた穴を塞げるんだろうか。

寂しい思いをさせてしまっているのは、俺の方だと思っていた。
待たせて心配をかけて、泣かせていると。
本当は、俺が耐えられなかっただけなのかもしれない。

夜はこんなにも長かっただろうかと、よく思うようになった。
でもそれは眠れなくなったせいで暗い時間を過ごす事が長くなったから、そう感じるんだろう。

眠れば、思い出が蘇ってしまうから。
温かくて優しくて、何よりも幸せで残酷な記憶が。

いつか愛想を尽かされてしまうなら、もう待っていられないと言われてしまうなら。
何よりも、俺が縛りつけてしまっているせいでが掴めるはずの幸せを逃してしまうのは嫌だった。

ひとつでも気がかりな事を抱えていては、戦う時に迷いが生じてしまう。
俺にとってそれが彼女だった。


出逢った時からに救われていた。
いつだって俺よりも遥かに小さな手で支えてくれた。
彼女は決して涙を見せなかった。たとえ長い間会えなくても、ボロボロになった俺が帰ってきても。

泣いていないはずがなかった。俺の知らない所で隠れて泣いていたと思う。
その度に必死に痛みを内側に隠して堪えてくれていたんだろう。

気づいていたのに、気づいていないフリをしていた。
それに触れたらもう戻れない気がしたから。
狡い事だと分かっていながら、俺はに甘え続けていた。

そしてその甘えはさらに酷くなった。
己のことを棚に上げ、彼女が俺のもとから去って行ってしまうのを恐れた。

大切にできないのなら、壊せばいい。
そんな浅はかな思いに囚われて、俺は自らの手を離した。
いいや、いっそ突き放したと言った方がいいだろう。


俺の好物ばかりを作って待ってくれていた彼女に、別れを告げた。
の手から皿が落ちて割れた音が、今でも耳を離れない。


「……なんで?」

「……君にはもっと幸せになれる相手がいるはずだ。俺は、いつも傍にはいられないから」


顔を見られるわけもなく、粉々になった白い破片を見ていた。
時計が刻む音だけが響いていて、重い空気が全身を潰そうとしているようだった。


「私はもう、必要ない?」


予想していなかった言葉に思わず顔を上げれば、傷ついてはいるもののそれでもまるで俺を気遣うような表情をしていて。
どうして俺にそんな顔を向けてくれるのか分からなかった。

最初から嘘だらけだったが、さすがにそれだけは声にする事はできなかった。
精一杯の虚勢を張り、なんとか頷いた。


「……そっか」


は屈んで割れた皿を片づけ始めた。
手伝おうとすれば止められ、また視線が重なった。


「片づけたらすぐに帰るから」


決壊寸前の笑顔が痛々し過ぎて、顔を逸らすしかなかった。


あれから彼女とは会う事も話す事もしていない。
俺の部屋からはの物がなくなり、彼女の部屋にあった俺の私物はいつの間にか元に戻されていた。

今までだって色んな形の別れがあった。
だから時間が経てば問題はなくなるだろうと思っていた。
しかし穴は時が過ぎていくほどに大きくなっていき、俺を蝕んでいく。
他の事に集中しようとしても、そうすればするほどの存在は鮮明に輝き続ける。

プライベート用の携帯電話を取り出す。
今も彼女に繋がる線を切れていない。
タップしてアドレスを呼び出せば、設定した写真と共に情報が並ぶ。
画面の中では俺とが頬を寄せて笑っている。

もし彼女の番号が表示されたら、俺は即座に通話ボタンを押してしまうだろう。
そして全てをさらけ出してしまうに違いない。
だからどうか、もう二度とこの画面にの番号が表示されなければいいと願っている。





Miss you





そう言ったら、君は怒るだろうか。



Image song 「Miss you」 by coldrain