アパートの大家に、庭の水撒きを頼まれて、快諾したのはただ単純に暑かったから。
ついでに涼む事を目論んでいたのだけど、それは正解だった。

目に優しい、整えられた緑の芝生。
ホースを持って、まんべんなく水を撒く。
時折虹が顔を出すのが、また穏やかな気持ちを運んでくれる。


「あれ、クリスさんだ」


そう声を掛けられて、振り返れば隣に住むがそこにはいた。
スーパーでも行ってきたのか、食料品を抱えている。


「買い物帰りか?」

「うん。今日は非番?」

「そうだよ」


彼女は裏門から入ってくると、日陰に食料品を置いた。
それから俺の正面に立つと、にんまりと笑って両手を広げた。


「水かけて!」

「は?」

「今日は特に暑いでしょ? ちょうど水浴びしたかったの!」


早く早く、とせがまれる。
言い出したら聞かない、妙に頑固なところがあるのは重々承知している。
しょうがないので、締めた蛇口をまた捻った。

ホースの出口を指でつぶして、水の放出量を調節する。
控えめにかかるよう調整して撒くと「もっと!」と催促された。
もうどうにでもなれ、と思いっきり彼女に向かって水を向けた。


「ひゃー! 冷たい!」


くるくると光の中ではしゃぐ。
真っ白な笑顔は、いつのまにかこちらにも伝染していて、気がつけば口角が上がっていた。
太陽を背負って幸せを体現するような表情。

過酷な日常を送る中で、俺が見つけたのが彼女だった。

会えば笑顔で話しかけられる。他愛もない話だけど、それが嬉しかった。
彼女が聞き上手で、いつのまにか愚痴を聞かせてしまう時もあるけれど、決まって彼女はこう言う。
『人は弱音を吐く事で強くなれるの』と。
人を引っ張っていく立場というのが、どれだけ自分の中で重圧だったか、その言葉で気づかされた。
いつの間にか、との会話が俺の癒しとなっていた。

どんな重い話でも、は嫌な顔をする事なく聞いてくれる。
『辛かったんだね』と、泣けなかった俺の代わりに、涙を流してくれた。
それが、どれだけ俺の心を救ってくれているか、彼女は知らないだろう。


「クリスさんも暑いでしょ? 代わってあげる!」

「え、俺はいいって!」

「遠慮しない!」


そう言って、無理矢理俺からホースを奪い取ると、そのまま俺に向けて水を放出させる。
冷たさが体全体に被る。


「おお、冷てっ!」

「どう? 気持ちいいでしょ?」


笑顔でそう聞かれて、俺は苦笑しながらも「そうだな」と返す。
そうして夕方まで、ふたりでの水浴びは続いた。


***


部屋に入る時、からディナーを誘われた。
断る理由もなかった俺は、すぐに行くと返事をした。

きっと、今日も他愛もない話をするんだろう。
そうして、俺の溜まっているものを、彼女は引き出して、軽くしてくれるんだろう。
水浴びをして舞う彼女の姿を思い浮かべながら、濡れて貼りついたTシャツを脱いだ。










衝動









Title By Fortune Fate「ひと夏の五題」