彼女の目の前には大きなカプセルがある。中には薄いグリーンの液体で満たされている
その中央で、様々な線に繋がれたアルバート・ウェスカーの姿があった
そっと、宝物に触れるように、彼女――はカプセルに手を伸ばす

「もう少し、もう少しだからね……」

コポコポと空気の漏れる音、の言葉に反応するかのようにウェスカーの瞼がピクリと動く
それを愛おしそうに眺めるの後ろでは、白衣を着た人間が数人
に好奇や嫌悪の目を向けている
それすら気がついていないかのように、の目にはウェスカーしか映っていなかった




が所属する組織は、謂わば裏の世界に存在するもので
アンブレラ社やウェスカーの動向などにも、ずっと目を向けていた

自身はもともと、アンブレラ社に身を置いていたが
所謂ヘッドハンティングで今のこの場に置かれた
彼女が引き抜きされる時には、アンブレラの終焉は見えていた
そうでなければはおそらく、引き抜きには応じなかっただろう

アンブレラでウェスカーに出会った時から、彼女は感じていたのだ
自分は、彼に取り込まれるであろう、と

その予感は現実のものとなり、彼女はありとあらゆる手を使ってウェスカー直属の部下となった
ウェスカー自身はそんな彼女を歯牙にもかけていなかったが、それでもは構わなかった
ただ傍にいられるだけで、その行く末を見ていられるだけで、幸せを感じられずにはいられなかったから
時折、彼の気まぐれで目を向けてもらえれば、それだけで満足だったのだ

そんなに、ウェスカーも徐々に、その凍りついた、己以外には決して触れさせないような部分を
ほんの少しだけ垣間見せるようになった
それは、彼の気紛れだったのか、彼にも人間らしい感情が残っていたのか
定かではなかったが、にとっては何よりも素晴らしい事だった

一番近くにいる自分すらを見ない、前だけを見ている瞳
その瞳には一体、何が映っているのだろう
それを考えるだけでは、何もいらなかった




ウェスカーからアンブレラを裏切る事を聞かされた時も、それが当たり前の事だと受け入れた
彼は、こんな小さな器の中に留まっているような人間じゃない、そうは思っていたからだ
ラクーンシティ崩壊の直前、彼女が今の組織に移った
そして暫しの間、彼らは離れ離れになる

アンブレラでの実績なのか、ウェスカーはを組織など関係のない、自分の部下として扱った
は求められるままに情報を提供し、ウェスカーにとって有益になる事を率先して行った
そうすれば、ウェスカーに認められる、必要とされるから
それがにとっての生きる意味となった


どうしてそこまで、彼女がウェスカーに入れ込むのか、誰も分からなかった
彼女自身、それこそ彼とどんな関係になりたいのか、分からなかった
ただ彼に必要とされたい、その一心で
自分の居場所は、彼の中にあるのだと盲信していた

そしてウェスカーも、それ程までに自分を慕うに、少なからず思うところがあった
自分を操ろうとする愚か者でもなければ、劣等感を感じさせるような人間でもない
純粋な、まるで子どものような瞳で自分を見上げる彼女に
いつしか、抱くとは思いもしなかった想いを持ち始めるようになる




の中で、ウェスカーは絶対的な存在だった
何があっても必ず戻ってくる。そして、自分の野望を遂げる
そう信じてやまなかった

だから、組織の人間にウェスカーの動向調査を中止するよう言い渡された時
そしてその理由を聞かされた時、には世界が崩れる音が聞こえた

組織が密かに火山から回収してきた、ウェスカーの「死体」を見た時
目からは涙が止めどなく落ち、嗚咽が止まらなかった
それと同時に、は決心する
自分の手で、ウェスカーをこの世界に留まらせる事を


何度も何度も、その体にメスを入れた
焼け溶けた皮膚も、ウロボロス・ウィルスによって変化してしまった腕や背中も
出来得る限り、そして自分の力の全てで修復した

組織の人間の半数は、の行動を無駄だと罵り止めようとした
けれども上層部の一部、力を持つ者たちはのその半狂乱な様子を見て
高みの見物をする事に決めたのだ
何よりも、ウェスカーの体内にはアンブレラが生み出したいくつもの貴重なウィルスが存在している
それを無下にする事は、勿体ないと結論を出したのだ


途中、挫けそうに何度もなった
一体自分は何をしているのだろう、と
ぴくりとも動かないウェスカーの体を見て、何度涙した事か
メスを置いてしまおうとした事も、一度や二度ではなかった

けれどもその度に、ウェスカーが自分に向けてくれた一瞬の眼差しを思い出した
ぎこちなく、それでいてまっすぐと自分に向けられた視線
それは自分を必要だと言ってくれているような、そんな視線だったのだ

もう一度、あの視線と交わりたい
ただ、傍にいたい。彼の創り出す世界で生きてみたい
その願いが、彼女を突き動かしていた


体の修復も終わり、体内に残るウィルスの検査もした
ウィルスは死滅する事なく、彼の体内で今だ活発に蠢いていた
それでは理解した。彼は、まだ生きているのだと

培養液で満たされているカプセルに、慎重に彼を入れる
線を体に繋ぎ、すぐ側に置いてあるパソコンを起動させた
それは心拍数を映し出し、線は上下しながら音を発した
確かに弱々しい物だったが、それは決しての努力が無駄ではなかった事を示していた
あの時、もこの世界に蘇ったのだ




「……さん、そろそろ私たちは……」

「ええ、お疲れ様」


自分の部下である者たちからそう声を掛けられて、無機質に返事をする
彼女の目は相変わらず、カプセルの中のウェスカーに向けられている
部下たちは隠れてため息を吐き、その場を後にする

コポコポ、と培養液の空気が上下する音だけが部屋を支配する


「ねえウェスカー、今、何を見てる?」


そっとカプセルに触れ、額をつけた
冷たいガラスの感触が伝わってくる


「私、ずっと待ってるよ」


ぐ、と手の平を握る。すると、側にあったパソコンから聞き慣れない音がする
見れば、ウェスカーの心拍数が上昇し、警告音が発せられていた
カプセルを見遣れば、閉じていた筈のウェスカーの瞼が開いていた


「……ウェスカー?」


彼の手が、拳を作りカプセルを叩く
次第にそれは殴る行為になり、響く音も大きくなっていく
カプセルにヒビが入り、彼の拳が最大に振りかぶられ


培養液が勢いよく流れ出す
の白衣は濡れ、線に繋がれたウェスカーが床に倒れこむ
慌てて彼に近づき、その体を起こそうと手を差し込んだ

それを、彼の手が制した


「ウェスカー?」


濡れた金髪が眩しく見えた
ゆっくりと顔を上げ、の顔を確認すると、赤い瞳に光が宿る


「……、か……」


ゴボッ、と培養液を吐き出す。その背を擦った
ウェスカーの腕がの肩にかかる
荒い呼吸音が、彼女の耳に届いた


「まさか、貴様に、助けられるとは、な……」


ああ、彼だ。私がずっと探し望んだ彼だ
は彼の肩に顔を埋め、涙を流した


「今度こそ、共に、世界を、手中に……」


の耳に、彼の言葉が届く
ただ、ひたすら彼女は頷いた





















Image song「大事なものは目蓋の裏」by KOKIA