吹く風が冷たいと感じなくなってから、どれくらい経つのだろう、と
相変わらず自分の脳は、どうでもいい事には執着しないようで
俺は革の手袋で防御した手の平を、コートのポケットに入れ、また歩き出した

己の欲の為だけに使った街、組織、人
それらに雰囲気の似たこの場所に、かつての「恋人」が住んでいる
裏切り、捨てる筈だった「恋人」が

ズレたサングラスを元に戻す
道行く人間は防寒具に身を埋め、寒風から体温を守り
そして自分の帰るべき場所に、足を進める

覚えた住所を標識で探す
木々が揺れ、枯れた葉は舞い、そして地面に落ちる
その風景は彼女が愛し、かつて住居としていた所に瓜二つだった


『私、結婚したらラクーンの中心街みたいなとこじゃなくて、この外れみたいな所に住みたい』

『通勤に不便だろう』

『いいの! 寿退社するから。アルの稼ぎだけで、充分暮らしていけるでしょ?』

『それは遠回しにプロポーズをしているのか?』


まだ人間らしい感情が残っていた頃の記憶を掘り返せば、思い出すのは彼女のことばかり
子どものようにはしゃいで、そのせいで転びそうになった体を支え
からかわれ、赤くなった彼女を宥めキスをする
そんな当たり前の事を、当たり前としていた日々

彼女を庇い地獄に落ちる筈だった魂を、この世に引き留めたのは
皮肉にもウィルスだった

もう、人間ではない

死んで悲しませ、そして裏切った俺が
そう言いながら目の前に現れたら、彼女はどうするだろう


指で住所を辿る。ここから歩いて数分の所に目的の場所はあった
地図を覚え、そこに向かうために足を踏み出そうとした

不意に香った懐かしい匂い
それは体の動きを止めさせた

はっとして辺りを見回せば、人通りの少ない道に一人の女
髪を切り、服を着込みまるで誰か分からないが
一瞬で、それが探し求めていた「恋人」だと悟る

気づかれないように、怪しまれないように歩き出す


は歩きながら時々、何かを思い出すように立ち止まっては空を見上げた
落ちる葉を掴んではくるくると遊び、手の平から落とす
相も変わらず何をしたいのだろうか
いつだって、彼女の思考は隊の中で一番読めなかったのを、思い出した

そうこうしているうちに、彼女は目的の場所に着いたようで
辺りを見回せばそこはいつだったか、二人で訪れた小高い丘に酷似していた
丁度よくあった木に身を隠す


「随分寒くなってきたよね」


急に発せられる言葉に内心動揺する
まさか、尾行が気づかれていたのだろうか
そっと彼女の背中を覗いてみれば、彼女は俺にではなく目の前の何かに語りかけていた


「この街ってさ、ラクーンの外れみたいなんだ。雰囲気とか、風景が……覚えてる? 私がこういう所に住みたいって言ったの」


覚えている。だが、彼女も覚えていたとは思いもしなかった


「この丘もそっくりだよね。私が誕生日プレゼントでこれをもらった場所に」


そう言って彼女がかかげたのは、いつかの誕生日に贈った指輪で

まだつけていたとは、思いもしなかった


「……ねえアル」


そう言う彼女の肩が震えていた


「なんで私前からいなくなったの? どうして最後までちゃんと裏切ってくれなかったの? ちゃんと、あの時私を捨ててくれれば、こんなに苦しくなんてなかったのに」


視線をズラせば見えたのは小さな墓石
それには名前が彫られていない
墓石の前には小さな花束が、風に揺られていた


「幽霊でも、怪物でもなんでもいい……もう一度、会いたい……!」


何かに突き動かされるように、体が動く
この渦巻く感情がなんなのか分からない
気がつけば、彼女を腕の中にかき抱いていた


「……ア、ル?」

「それ以上泣くな。お前に泣かれるのは辛い」


たとえそれが許されない事でも、俺の力で捻じ伏せてみよう
たとえ君が泣いても俺は、もう離さないと


「俺と共に来い。抗っても俺は、それを聞かんがな」


愛しい彼女にも仲間を裏切らせよう。共に同じ罪を背負おう
それは、永遠に俺達を繋ぐ鎖になる筈だから










Don't more cry, My honey.